新潟造船自転車部活動日誌

三井E&Sグループ、新潟造船株式会社の自転車部のブログです。自転車部を通して、会社の発展に貢献していきます。自転車部社員絶賛募集中です。

新潟造船自転車部の活動を綴っていきます

第31回ツール・ド・おきなわ100kmマスターズクラス 8位

渡邊です。

 

今年の最大目標レース「ツールド沖縄」が終わりました。結果は約350人中/8位。残念ながら入賞を逃しました。おまけで中間スプリント賞は獲得しましたが。

 

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沖縄公式画像より、大人数でのビッグレースです。

今年は自分の競技レベルを勘案し、初の100kmマスターズ。新潟造船のユニフォームで表彰台の真ん中に立って、宣伝をする事が目的です。 

今まで140kmに出場してきて、上位はありますが入賞は惜しくも無し。マスターズ100kmは…、と妙なプライドがあったのですが、初参戦して分かったことは、レベルは決して低くはなく、むしろ熟練の域に達した競技者同士の激しい潰し合いの戦いでした。 

 

優勝するつもりで望むも、先週日曜に発熱、一度収まるも平日勤務中に移ったか、木曜日からまた発熱。レース当日の朝もまだ熱が引かず、37度と、喉が腫れている状態。朝会った人に「めちゃくちゃ風邪声じゃん」と言われる始末。

今回はシード権が無いので、前50人に任意の時間に並べないという不利さもあり、アップするよりも少しでもスタートを前にしたいと思い150番位に何とか自転車を並べる。沖縄の朝は予想外に寒く、朝の7時半~スタートの10時過ぎまで日が出るまで震え、出てからは暑さ対策と待ち時間の長さにテンポが狂います。沖縄で一番気を付けないといけないのは暑さによる脱水です。すでに関東では寒い時期である為、日中25℃以上になる沖縄では体がついていけないと、調子を発揮することが出来ません。

 

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前日に泊まったホテルのプライベートビーチ

加えて開催規模が大きい為、会場周辺も大きく、前日にかなり歩くため、朝から足のだるさが抜けておらず、すでに足に違和感…。先行きは中々不安です。年々練習時間が減り、距離を走る事も少なくなり、今年は100kmを超える練習は記憶にある限り5回くらい。ほとんどが1日50km~60km程度なので、距離の不安も少しはありますが、レース時間は3時間程度なので持っていく補給食も「ようかん」三個と、「エナジージェル」3個、あわせて800kcal程度。人間は最大効率で糖質摂取をしても、運動時は1時間/250~300kcalと聞いた事が有るので、沢山食べても無駄になるうえ、荷物なので体内に貯蓄したグリコーゲンを信じるのみです。

 

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レースは105kmくらい、2000mも登るレースです。

スタートと同時にダッシュで先頭へ向かいます。リスクがありますが、右端を一気に駆け上がり、前にいる邪魔な人とすぐに抜き去り、前でレースを展開します。すぐに自分の使用しているパワーメーター(自分がどれくらいの出力で漕いでいるかを判断できる高級機器、10万~20万ほどしますが、今は無くてはならない物)が不調で片足のみしか計測してくれない、よって正確なパワーを把握することが出来なくなった為、レースでのパワーマネジメントが体感のみとなる、これは結構痛手。あとは心拍系で補うしかない。

まずは3kmの登りを先頭で終え、下り。すでに140kmや210kmのカテゴリーで千切れた選手がコース上にいる為、速度差があり結構危険。千切れた選手は遅い選手である為、路上の障害物でしかない。

ポイントとなるのは35km地点から始まる7kmの峠道。そこまでは大集団で一塊となって進む。登りが始まる直前、少しでも前に居たいという選手の動きで不安定になる、こうゆうところで落車が発生するので、落ち着いてクリアする。自分は登りが得意な選手である為、登りであればどこからでも先頭に戻ることが出来るので、焦る必要はない。

パワーメーターが当てにならないのと、今年100kmが初なので、昨年までの上位選手の動きを様子見できるポジションで走る。上位者はゼッケン番号末尾50番迄、これがシードの証であり、またマークの対象となる。当然末尾01に近づくにつれ、順位が上。今年の01番は昨年の2位の人だ。登りを1人強烈に牽引する人が居る、どうやらこの人がこの100kmでは有名な強者らしく、昨年は6~8位だった方のよう。私が出なくなったヒルクライム大会の年代別でも優勝しているようで、登りの戦闘力は互角といったところだろうか。しかし、この人の登り方が一定パワーで走るのではなく、自然と回りを苦しめる上げ下げの有る走りとなっており、私はゆうについていけるが回りはかなり辛そうである。

4kmを過ぎたあたり、昨年上位の方がまとめて離れ始め、これはチャンスと思い、一気にアタックを掛ける。仕掛けるときは全力だ、一気に集団を置き去り、頂上ポイントを1位通過し、下りに入り1人で逃げる。補給ポイントでボトルを受け取っていると先頭集団が追い付いてきた、なんと8名まで減っている、後ろは見えない。

 

残りの65kmを9名という少ない人数で走る事はこの時点でサバイバルレースの様相をあらわにしてきた。後方にいる大集団がまとまって後半追い上げてきたらひとたまりもない、追いつかれないペースで9名で走る、力の無いものはいつ脱落するかわからない、人数が減ればその分きつくなる、しかしこの9名は強かった。結果的に今年優勝した人、登りが強かった人は今年2位になったのだが、この2名が強い。優勝者が使っているバイクは、今年の210km、140km、100kmの各カテゴリーで優勝した100万円を超える最新のバイクだ。2位の方もフレームだけで70万円もする超高級車。わたしがつかっているフレームは7万円の物である(笑)機材の性能差は脚力で埋めるしかない。自分を含めた3名以外は突出している雰囲気はないので、この二人をマークし、どこかで決定的なアタックを決め、抜け出し、逃げることを考えながら距離をこなしていく。

 

7kmの登りの後も3kmの登りが有り、その後も断続的にアップダウンが続く、100kmで2000mも登るコースなので、疲労が抜ける事が無い。加えての少人数、気温も上がり、ドリンクを飲むことを忘れてはいけないが、自分の欠点にトイレが近い事がある為、ガンガン飲めない。これが後半仇になった。55kmを過ぎ左足に攣りの気配、予想外に早い。やはり歩いた疲れと、風邪による脱水?気温による脱水の影響か。沖縄のレースでつらない人は居ないという位、みんな攣りに苦しむ。自分も過去2回参戦し、全部攣っている。どれも入賞争いの重要な後半の登りの所だ。

 

今回は調子は今までで一番あわせてきたつもりだが、やはり色々な要因で体調はその時々。中間スプリントで駆けて獲った時、攣りが発生。周りはあまり足を使いたくないのか、積極的な人が居なかったので、みんな体力を温存していたのだろう。最後の補給ポイントでボトルを取り、一気に飲む。この時点で両足が一度攣り、一瞬集団から脱落しかけたが、下りで回復させ、その後の平坦は大人しくする事で一度収めるが、もういつ爆発してもおなしくない。

 

そしていよいよ最後の勝負所羽地ダムの登り2kmと、その後のアップダウンまで来た。ここで一気にペースアップ。優勝した人と2位の人が抜けていく。自分はつらない様に最大限の感覚を研ぎ澄ませながら2名に追いつく、さっきのボトル分の水分で多少はマシになった。ここからはあと何回かのアップダウンを終え、最後5kmは市街地に入る。ここで3人で力を合わせ、後続との差を開きにかかる。後続はしばらくすると見えなくなるが、この3名の中で優勝が決まる事は決定的となり、そして表彰台も3位までなので、3人でこのままいけば表彰台は間違いない状況になる。

 

しかし、全員狙うのは表彰台真ん中。今回優勝した人のバイクは本当に速い。下りで、平坦で、どこでも後ろについていても空力が良く、まったく後ろにいても休めないくらいきつい。加えてペースをあげ、なかなか私を消耗しない先頭交代をさせてくれず、一人消耗していく。2位の人が下りで少し離れたので、少しペースを上げ、千切ろうとしたが逆に消耗し、両脚が完全に攣ってしまった。残りの5kmを二人の後ろに大人しくついていけば3位にはなれる…。しかし私が欲しいのは優勝であり、3位ではない。ここで後ろについていくだけにして、前の二人を風よけに使えばゴール前でもしかしたらチャンスはあるかもしれない。しかし、そんなせこい勝ち方をして、背中に背負った「新潟造船」の名を汚すわけにはいかない。記憶にも記録にも残らなければ、真の勝利とはならない。私はここで倒れても、優勝の可能性に賭け、2人との先頭交代に加わった。

 

そしていよいよ本当に最後の登り、通称「イオン坂」なんてことの無い、本当に大したことのない登り。高架橋を1本登る程度、その程度の今まで走ってきた道のりの中では登りにならない登り。しかし、この登りを前二人のペースでこなす脚が無かった。少し離れてしまいそうになり、立ち上がり踏ん張ろうとしたその瞬間…!全身が攣り、体が硬直、何もできず地面に転がった。

両脚が激痛と共に激しく攣り、一人ではどうしようもできない。激痛で自転車のペダルからも足が外せない。そこに観客が駆け寄ってきてくれて、脚を外して、自分で曲げられない足を思いっきり曲げてくれと頼む。曲げても勝手に攣り伸びてしまう脚、それを何度か曲げ伸ばししてもらい、なんとか動くように。こんな汗だくの汚い体を動かすのに手伝ってくれた方に感謝を仕切る事も出来ず、後続を見つけ、まだあきらめずゴールを目指す為再度走り出す。もう表彰台はない、6位までの入賞もないと思う、しかし辞められなかった。もう全く力が入らない脚でペダルを回し、ゴールに単独たどり着いた。会場へは入らず、自販機へ向かい、500mlのコーラを一気飲みし、その場に寝転がる。

全力で負けて、自分のレースは終わった。あとで8位だったという事を知った。そして中間スプリント賞を獲得し、副賞をもらった。

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このユニフォームで走れたことが誇りです。

そのまま会場へは向かわず、今回初参加の100kmで相部屋、スタート地点でも話し相手になってくれた広島の方を待つべく、荷物預かり所で一人待つと、1時間半後くらいだろうか、その方が見えられた、残念ながら完走が出来なかったとのことだった、私も優勝は出来なかったと報告。レースでまた新しい友達が出来た。

そしてまた共に逃げた8名の戦友と、優勝を争った2人のライバルを手に入れた。自転車レースは勝っても、負けても、得る物は大きい。今回もやり切った、自分の今の状態での全力を出すことが出来て、全力で争うことが出来た。風邪の影響があったかどうか、もうどうでもいい、そう思った。

集団でおとなしくしていたら、誰かが動くのを待ってチャンスを待てば、そんな事で得られるものは1つもない。自分から動いて、自分から勝利を得る為に戦ってこそ、得られるものは尊い。今年1年間、今日の為に頑張ってきたが、報われることはなかったが、全員が必ず報われるわけではない、私もその一人だった。

レース後、まずは妻に無事を報告。宿でシャワーを浴び、着替えて我慢していた沖縄料理を食べながら、一人居酒屋で泡盛を飲み、レースの反省会としました。

 

翌日、疲労を抜くためと、攣って走った肉離れの脚の回復に、軽くサイクリングに出かける。1時間半程度走り、基地反対をしている場所を見たり、マングローブの森を見たりしながら宿へ戻り、片づけて空港から自宅へ戻る。

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のんびりと少しだけ観光サイクリング。

次は新潟造船チームで、沖縄で祝勝会が出来るといいな、そう思いながらしばしのオフシーズンに入ります。

 

これからも応援、よろしくお願いいたします。